鳥たちのいえ

ギャラリーオープンにあたって

この場所は、2017年6月まで「ギャラリーあんどう」でした。安藤照子さんが運営されるとてもいい場所でした。多様な分野のプロ作家の素晴らしい作品展示もあれば、お年寄りのとても味わい深い展示、それから若手作家のキレのいい作品展もありました。都市のギャラリーだと、このような幅広い展示をする場はあまりないと思います。このギャラリーは、おおむねこういうキャリアの作家の場所とか、こういう傾向の作品を展示する、というような分断というか専門化が進んでいます。

でも「ギャラリーあんどう」は、そういう分け隔てがなかった。かといって、グダグダな内容でもなかった。生きることと表現することが自然につながった気持ちのいい展示がたくさんあった。表現することは、特別なことではない。尊い、神聖といってもいい行為。だからこそ一部の人だけの営みとしてはならない。誰にでも語りたい言葉がある、語ることで他者とつながり、救い救われる。そういうことを感じさせてくれるとてもいい場所が、「ギャラリーあんどう」だった。それは運営者の安藤さんの人柄や美術への熱意や敬意の賜物だったのだと思います。

それがなくなるのだと聞いて、私はとても驚きました。「この場所がなくなるなんて、鳥取にとってなんたる損失!とんでもないことだ!」と思いました。誰かが、この場所を続けなければいけないと焦りました。

もう一つ、この場所への私の勝手な思い入れがあります。ギャラリーのはす向かいに「ロゴス文化会館」というのがあります。「ロゴス文化会館」。なんという気合の入った名前でしょう。子どもの時から、この名前だけは妙に記憶に残っているのです。子どもには「ロゴス」なんてわかりません。ゴロゴロした名前だなと思っていました。ドーナツ屋さんが一階にあったことをぼんやり覚えています。正直言って、ドーナツ屋さん以外の記憶はありません。でも「ロゴス文化会館」という名前は、さっぱり意味のわからない子どもの私にも、ある迫力を持って何かを伝えていました。「ロゴス」がギリシャ語で論理とか言葉という意味を持つと知ったのはずいぶん後のことです。ぼんやり感じていた気合の意味がわかった時、私はとてもうれしくなったのです。

40年以上前、鳥取で、ある矜持をもって、建物に「ロゴス」「文化」と名付ける人がいた。現在言われる地方からの文化発信などとは気合のレベルが違います。人間の可能性を信じ、大きなものに憧れ、自分の足元を世界の中心と決めて、ちゃんと頑張って生きていこうというガッツがあった。パルテノン神殿の石柱のように力強く、堂々とした憧れや決意が詰まっている。「ロゴス文化会館」という名前には、昔の鳥取に充満したそういう気概を象徴しているように思えるのです。現在の「地方文化」という定型化し、安穏としたせせこましいものではない、世界とつながり伍していこうとするエネルギーがあった。(調べたら、「ロゴス文化会館」の前身は、「ロゴス」という名で昭和3年にフランス料理店として建設されたものでした。ということは、大正デモクラシーからの自由の空気に気脈を通じている!現在のビルは、その後建て替えられたもののようです。)

過去に、本当にそんなエネルギーがあったのか?うむ、実のところはわかりません。妄想と言われればそうかもしれない。でも、何か片鱗のようなものはきっとあった。そもそも妄想でも構わないじゃないか。私は現在、この場所に生きる者として、現状に甘んじることなく理想を求める荒々しい力が欲しいと思っている。安易に絶望を語るのでもなく、地方という言葉に自閉するのでもなく、偏狭なナショナリズムに寄りかかるのでもなく、もっとおおらかな理想、困難な世界を生きるための大理石の柱が欲しい。「ロゴス」言葉、思想、真理。「文化」カルチャー、耕す。

長い話になりましたが、そんなすごい名前のはす向かいにこのギャラリーはある。鳥取の文化的エネルギー発信の場所の間近にあるこのギャラリーは、鳥取の文化的理想のよき核心・太陽の間近で、ほかのいろいろな可能性とリンクしながら、文化的な集積の場となっていく大きな可能性を秘めている。この辺りの地域が熱源となって、創造的な集積ができていけばいい。それが例えば鹿野の鳥の劇場やほかの場所とも化学反応を起こしていけば……。そんな夢想をしている。(「ロゴス」にちなんで、当ビルの名前を「ミュトス」としました。ミュトスは、古典ギリシャ語で空想的な物語、神話という意味で、ロゴスと対をなす言葉です。)

安藤さんをはじめ、多くの方のご理解、ご協力をいただきながら、ギャラリーを引き継がせていただくことになった。何しろギャラリー運営などしたことがありません。当たって砕けろです。いや、砕けたくはありません。砕けず、息長く、理想を高く、開かれた場の運営をしたいと思っています。芸術分野や手法に関係なく、またプロフェッショナル・アマチュア問わず、真剣に生きる表現者のための展示の場としたいと思います。演劇、音楽などライブパフォーマンスの場としての利用も可能です。

表現することは生きること。誰でも必ず一つは自分を語りうる歌声を持っている。それぞれの方法で、自由に歌えばいい。そこに他者との出会いが生まれ、自分のかけがえのなさの発見がある。表す、見る、そのつながりの中で、人は他者を救い、他者に救われ、古い自己を更新していく。「ギャラリー鳥たちのいえ」、ぜひ使ってください。来てください。

ギャラリー鳥たちのいえ 中島諒人