鳥たちのいえ

裸のトポス

「『山陰を記録する』ことに徹した作品を作ってきた」と自らも述べているように、

写真家・池本喜巳は、「人」と「場所」、「場所」と「時間」の関係性を撮り続けてきた写真家である。

国宝投入堂をはじめとする三徳山三佛寺、昭和の時代を色濃く残す個人商店(『近世店屋考』)、様々な分野で足跡を残す地域の人々(『因伯の肖像』)など、池本の作品には長期間に渡るシリーズが少なくない。

写真が映し出す時間は一瞬であり、その空間は画面の範囲に限られている。池本の作品には、写真という手法によって空間と時間を切り取ることで、逆説的にそれらの無限の広がりを観るものに突きつける側面がある。

 

今回、ギャラリー「鳥たちのいえ」を舞台に展示されるのは、その池本が、30年前に「おうちだにグランドアパート」(鳥取市指定文化財)を舞台に撮影した一連の作品群である。

 

「鳥たちのいえ」は、自らが表現者である「鳥の劇場」を母体としたギャラリーである。

「いろいろな鳥たちのいろいろな声をとどけたい」という思いから、かつて地域の多くの若手作家が活動の舞台としていた「ギャラリーあんどう」を「自由な表現者のためのひらかれた発表の場」として継承したものである。

「おうちだにグランドアパート」は、昭和5年に建築された洋風の外観をもつ建物で、医院として計画されながら住宅となり、住宅だったものが国・占領軍に接収されて軍人の宿舎・ダンスホールとなり、その後アパートとして、やはり多くの表現者の暮らした場所である。

 

こ の 二 つ の 舞 台 は 、「 ヒ ト 」 と 「 ジ カ ン 」 が 強 く 結 び つ い た 「 バ シ ョ 」 で あ る。

池本喜巳の作品を展示することは、その「バショ」の力を見せつけ、「バショ」の力を増幅させるものとなるだろう。また、この「バショ」で展示されることで、展示された作品に表現されたものの力は、より鮮やかに感じることができるだろう。

 

 記憶の窓

昭和50年代、私は樗谷の入口にあるグランドアパートでよく撮影をした。

そこには友人の橋本右近君が住んでいて、撮影したくなると彼に「おい、ちょっとどこかへ出かけてくれ」と、今思えばムチャな注文をした。人のいい右近君は「はい!」と言って、どこかへ消えた。

そんな彼のプライベート空間へ、男女問わず、子牛ほどある犬グレートデンまで引っぱり込んで、スタジオ代りに撮影をした。

一歩中へ入ると個性的なアーチ窓からの光が、美しい陰影を作った。すぐにプリントをしたが、撮影時の生々しさが残っていて、発表しないまま30年以上経過した。このたびの写真展のため改めて見てみると、プリントはいい感じに熟成し、私の眠っていた意識を覚醒させ、今回の企画展となった。 (池本喜巳)

おうちだにグラウンドアパート

近代の時空間が、いくつかの別の世界線が捻じれながらつながってできたものだとすると、おうちだにグランドアパートは、その交差点に立つ建物である。

医院として計画されながら住居として完成した。洋風でありながら日本建築、洋館風のらせん階段を持ちながらモダンなデザインとはいえ立派な茶室をもつ。らせん階段は、明治時代の別の病院から譲り受けたもので、床の間の床襖には仁風閣の建築技師の兄・橋本栗谿の画賛。昭和18年の地震に耐えたのち、昭和21年に進駐軍の居室が増築されたため、若干地盤が傾いた地震前の建物と増築された建物は捻じれた形でつながっている。 (佐々木孝文)

鳥たちのいえ

鳥取で2006年から演劇の活動をする中で、頭の隅にいつもあり続けた問い。

なぜ「ここ」で芸術活動をするのか。なんで東京やNYでなく「ここ」なのか。それは個的な夢や意地や決意やいきさつやらの私的問題と、社会がそれをどう捉えるかという政治的な目線のはざまで、表現者を揺さぶり続ける。

このギャラリーを「鳥たちのいえ」として再始動しようと思ったのは、向かいの「ロゴス文化会館」という名前と存在に、私の揺れへの先行世代からの力強い回答を見るような気がし、鳥取で生き表現することについて、この場所で何かをつかみ発展させたいと考えたから。

鳥取 での芸術活動の大先輩池本喜巳さん、池本さんの過去作品、そして鳥取の歴史をまとったグランドアパート。この交流から何か力をもらいたい。 (中島諒人)

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